最近の記事

2017.6.25「嵐の中で」

こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
今週の主日は、新潟山形宣教区の一斉講壇交換でした。
当教会では、今年山の下福音教会に赴任した、辺土名誠治(へんとな・せいじ)伝道師がメッセージをしてくださいました。
確かお父様が沖縄、お母様が東京の方だったかと思います。あれ、福島だっけ・・・・うろ覚えですみません。
神学校は北海道聖書学院だそうで、人生をゆっくり北上しておられましたが、新潟で落ち着きました。
辺土名先生のこれからのお働きも守られますように。週報はこちらです。

聖書箇所 『マタイの福音書』14章22-33節 
posted by 近 at 18:00 | Comment(0) | 2017年のメッセージ

2017.6.18「いのちの主(しゅ)は私の主(あるじ)」

12029.jpgこんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
右側の「リンク集」に、私が代務をしております村上福音キリスト教会が追加されました!
村上の特産品である「鮭(サケ)」をモチーフにしています。
画像がちっちゃいのでサメと間違えそうです。

ちなみに村上市のキャッチフレーズは「サケ(鮭)とサケ(酒)とナサケ(人情)の町」。
完全におっさんオトナ志向かと思いきや、サケリンなるゆるキャラも市内のあちこちに出没。
お腹(とっくり?)にプリントされた「情」の文字と、やたらかわいらしいお顔のミスマッチ。
サケかサカナかタメイキか。町作りの方向性を巡り、行政も試行錯誤しているようです。

村上教会のブログも、今後どうやって記事を増やしていくか、試行錯誤の真っ最中。
ぜひ向こうも応援してください。サケとサケとナサケのブログです。パクってすみません。
サケリンをクリックすると村上市公認、サケリンの部屋にジャンプします。そちらもよろしく。
週報はこちらです。

聖書箇所 『創世記』9章1-7節 

序.
 妹尾河童という著名なイラストレーターの方が書かれた、自伝的小説である「少年H」という作品があります。
数年前に、俳優の水谷豊とその実際の妻である伊藤蘭ご夫妻が、映画の中でも主人公の両親を演じたことで話題になりました。
この両親は熱心なクリスチャンで、愛と厳しさをもって、主人公のHを育てました。
しかし戦争の混乱は、教会を傷つけ、この家庭もその波に翻弄されていきます。
主人公であるH少年は、人生に絶望して自死を考えるまでになりました。しかし実際に線路に飛び込もうとしたときに、彼は気づきます。
自分の頭がどんなに死にたいと願っても、からだは生きたいと願い、頭に反抗するということを経験するのです。
小説に描かれ、そしておそらく実際に妹尾さんが経験したことなのであろう、このできごとは、私たちに教えてくれます。
人間のいのちの主がその人ではなく、人間の筋をつくり肉をつくられた神ご自身なのだということを。続きを読む
posted by 近 at 16:54 | Comment(0) | 2017年のメッセージ

2017.6.11「蒔く者と刈る者がともに喜ぶため」

 こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
今週の主日礼拝は、今年同盟教団からタイへ委託派遣される長谷部愛実宣教師のメッセージです。
彼女は昨年度まで、私の出身教会である山の下福音教会の主任牧師を17年間務めておりました。
なお今から約30年前に私がその教会に導かれたときには、彼女のお父さんが主任牧師でした。
彼女とは先輩後輩の関係が色々と入れ替わったりとか、まあ色々あったのですが、いまは大切な同労者です。
支援会のホームページもどうかご覧ください。
パワーポイントでのメッセージですので、固定式のカメラでは少し内容がわかりにくいかもしれません。ご容赦ください。
週報はこちらです。

聖書箇所 『ヨハネの福音書』4章34-38節 
posted by 近 at 19:45 | Comment(0) | 2017年のメッセージ

2017.6.4「聖霊は決して見捨てない」

 こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
毎年ペンテコステの日は、わが同盟教団では「国外宣教デー」に定められており、教団から派遣されている宣教師のために祈ります。
今年度は、礼拝の中で七組の宣教師家族からのビデオレターをプロジェクターで映し、みなで祈りました。
それも紹介したいところですが、公開すると障害や危険がある国も含まれておりますので、ご容赦ください。週報はこちらです。

聖書箇所 『ヨハネの福音書』14章16-21節 

1.
 今、私たちは、この同盟教団から世界中に派遣されている、七組の国外宣教師ご家族からのビデオレターを受け取りました。
数年前、やはり同盟教団から派遣されていた、ある宣教師が、この礼拝の場で証しとメッセージをしてくださったことがありました。
それから数週間して、その先生からメールをいただきました。
「来年、子どもが帰国して先生(近)の母校である高校で学びたいと希望しているので、パンフレットを送ってほしい」と。
二つ返事で引き受けて、さっそく母校の事務局へ赴いて、資料や入学願書を受け取り、その先生のもとへ送りました。
しかしその後、お子様がその学校を受験されたのかどうか、まったく連絡がなく、そのうち私も失念しておりました。

 それから暫くして、その先生は数年間続けられた宣教師を辞されて、国内で牧会に励むということを聞きました。
具体的な理由はわかりませんが、ただひとこと、家族のことを考えてそう決めた、と語っておられたそうです。
それを聞いたときに、私は自分自身が、どれだけ宣教師のために祈っていたのだろうという悔い改めを示されました。
お子様がその高校を希望している、とその先生がメールで伝えてきたとき、私は頼られて嬉しい、くらいしか考えていませんでした。
しかしその背後には、異国で淋しさを覚えている中でもう日本に帰りたい、というお子様の叫びがあったのかもしれません。

 宣教師一家は、本人だけでなくその配偶者も子どもたちもそろって、「宣教師」であることを求められています。
先ほどの国外宣教師からのビデオレターも、宣教師だけではなく奥さん、子どもたち全員が映っていました。
何の屈託もない笑顔に見えることでしょう。
しかしそのかげで、子どもたち自身も意識していない中で、宣教師の子どもとしての重圧がのしかかっているのかもしれません。
宣教師家族は、どんなに幼い子どもであっても宣教師のひとりとして生きることを求められています。
あの先生のご家族も、傷ついた心で歩んでいたのではないか。そして私たちは、いや私は、それを想像し、祈ってこなかったのではないか。
宣教の祝福のために祈ってはいても、彼ら家族のメンタルのためにはどれだけ祈っていたのだろうか。
その意味で、私たちはこのビデオレターに映し出された映像の背後にある、宣教師とその家族が背負っている重荷をおぼえたいのです。
また、時には家族そろって日本に一時帰国してリフレッシュする機会が与えられるように、経済的にもささげていきたいのです。続きを読む
posted by 近 at 13:52 | Comment(0) | 2017年のメッセージ