最近の記事

2014.11.30「暗やみが光」

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聖書箇所 列王記第一8:10-14
 10 祭司たちが聖所から出て来たとき、雲が主の宮に満ちた。
11 祭司たちは、その雲にさえぎられ、そこに立って仕えることができなかった。主の栄光が主の宮に満ちたからである。
12 そのとき、ソロモンは言った。「主は、暗やみの中に住む、と仰せられました。
13 そこで私はあなたのお治めになる宮を、あなたがとこしえにお住みになる所を確かに建てました。
14 それから王は振り向いて、イスラエルの全集団を祝福した。イスラエルの全集団は起立していた。

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posted by 近 at 18:00 | Comment(0) | 2014年のメッセージ

11.22長野北部地震と信州宣教区

 11/22の夜10時過ぎ、長野県北部と新潟県上越地方を中心に、震度6の地震が襲った。
一時は生き埋めのニュースが飛び込んだが、幸いみな救助されたようだ。
重軽傷を負われた方々のいやしをお祈りします。

 新潟山形宣教区の12教会のうち、佐渡・山形を除く10教会はすべて、下越地方に集中している。
一応各教会に安否確認のFAXを送ってみたが、どこも少し揺れた程度で済んだようだ。
だが信州宣教区15教会はそうもいかなかっただろう。
23日午後9時現在、教団の緊急災害情報掲示板には信州宣教区のうち3教会しか書き込みがない。
15教会の位置関係もよくわからないので、気象庁の震度マップに教会の場所を落とし込んでみた。続きを読む
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2014.11.23「私の物語は主の物語(A Ministry is The History)」

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礼拝の中で、先日山形恵みキリスト教会を訪問された姉妹の証しがありました。


聖書箇所 ルカの福音書19:1-10
 1 それからイエスは、エリコに入って、町をお通りになった。
2 ここには、ザアカイという人がいたが、彼は取税人のかしらで、金持ちであった。
3 彼は、イエスがどんな方か見ようとしたが、背が低かったので、群衆のために見ることができなかった。
4 それで、イエスを見るために、前方に走り出て、いちじく桑の木に登った。ちょうどイエスがそこを通り過ぎようとしておられたからである。
5 イエスは、ちょうどそこに来られて、上を見上げて彼に言われた。「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」
6 ザアカイは、急いで降りて来て、そして大喜びでイエスを迎えた。
7 これを見て、みなは、「あの方は罪人のところに行って客となられた」と言ってつぶやいた。
8 ところがザアカイは立って、主に言った。「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」
9 イエスは、彼に言われた。「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。
10 人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」

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posted by 近 at 17:21 | Comment(0) | 2014年のメッセージ

「宗教としてのナチズム−その系譜と実像」(5)〜敬和学園大学の卒業論文(1994)

おわりに

 「なぜナチは12年間にわたってドイツ国民を支配できたのか?」  これはナチ研究史半世紀来の、かついまだ確答の与えられていない疑問である。前述したように、ノイロールらはドイツ人の普遍的精神性にその根拠を求めようとした。しかし結局その試みは、カントやゲーテに象徴されるような知性的ドイツ人像をいたずらに歪曲するだけだった。そこで多くの歴史家はより説得力のある答えとしてテロを持ち出してきた。議会政治のルールにのっとって合法的に政権を獲得したヒトラーは瞬く間に独裁体制を確立し、オーウェル的な監視社会に人々を閉じ込めたのだ、と彼らは説明する。しかしその後の証言で、ドイツ人自身は外国人が考えているほど、ヒトラーを畏怖すべき独裁者としては見ていなかったことが明らかになった。
 例えば、ミルトン・マイヤーの友人たちは戦後、ヒトラーにだまされていたという怒りより、むしろ彼のほうがだまされていたのだという憐憫の情を示している。その一人、カール・ハインツ・シュヴェンケは、狡猾な党幹部たちにヒトラーは利用されていたのだ、とマイヤーに語った。「ヒトラーが本当のことをきかされていたら、ものごとは変わっておったよ(58)」。他の友人ハインリッヒ・ダムによれば、「連中のやり方は巧妙で、ヒトラー自身もとうとうそう思いこまされてしまった。それ以来、彼は妄想の世界の住人になった(59)」のである。イエッケルは「ドイツ人はヒトラーのことを恐れたというよりも、むしろ愛した(60)」と指摘しているが、これらの証言を聞く限り、その分析は一面の真理をついているように思われる。続きを読む
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2014.11.16「あれかこれか」

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聖書箇所 創世記25:19-26
 19 これはアブラハムの子イサクの歴史である。アブラハムはイサクを生んだ。
20 イサクが、パダン・アラムのアラム人ベトエルの娘で、アラム人ラバンの妹であるリベカを妻にめとったときは、四十歳であった。
21 イサクは自分の妻のために【主】に祈願した。彼女が不妊の女であったからである。【主】は彼の祈りに答えられた。それで彼の妻リベカはみごもった。
22 子どもたちが彼女の腹の中でぶつかり合うようになったとき、彼女は、「こんなことでは、いったいどうなるのでしょう。私は」と言った。そして【主】のみこころを求めに行った。
23 すると【主】は彼女に仰せられた。
「二つの国があなたの胎内にあり、二つの国民があなたから分かれ出る。一つの国民は他の国民より強く、兄が弟に仕える。」
24 出産の時が満ちると、見よ、ふたごが胎内にいた。
25 最初に出て来た子は、赤くて、全身毛衣のようであった。それでその子をエサウと名づけた。
26 そのあとで弟が出て来たが、その手はエサウのかかとをつかんでいた。それでその子をヤコブと名づけた。イサクは彼らを生んだとき、六十歳であった。

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posted by 近 at 19:00 | Comment(0) | 2014年のメッセージ

2014.11.15「心魂(こころだま)プロジェクト」新潟公演

 昨日、管理人の所に一通のメールが届いた。敬和学園高校の同期、寺田真実(まさみ)君からである。
寺田君は、日本同盟基督教団から台湾に派遣されていた寺田由弘(よしひろ)宣教師の子息である。
彼は大学卒業後、某精密機器メーカーで数年間働いた後、「劇団四季」へ入団した。
13年間、同劇団所属の俳優として活躍した後に退団。
そして昨年から、同じように舞台経験を持つアーチストともに「心魂プロジェクト」を始めている。
この活動は、病院やホスピスにいる子供たちを対象にミュージカルやお芝居を無料で届けることなど、様々な働きを行っている。
地方の病院施設にも無料で訪問し、それと並行して行われる一般向け公演の売り上げを訪問活動の資金に充てている。

 高校時代、私は彼のライバルだった(と、数年前に再会した時に彼が言っていた)。
敬和学園高校は毎年フェスティバル(学園祭)が行われるのだが、三年間を通し、彼と私はいつも演劇部門で鎬(しのぎ)を削っていた。
とはいえ、仲が悪かったわけでもないし、さりとてよく語り合った関係というほどでもない。
私も大学に入ってからしばらくは演劇部にも顔を出していたが、そのうちに自然と離れてしまった。
だが彼は、常に才能を磨き続けた。
メールでは自らを「放蕩息子」と紹介していたが、その生き方は間違いなく、常に神とともにある幸いな人生である。
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posted by 近 at 21:00 | Comment(0) | 牧会卓話

日本同盟基督教団「11.9いっせい防災訓練」結果

 昨日、当教会が所属する日本同盟基督教団の全251教会(伝道所含む)にて「いっせい防災訓練」が行われた。
同盟教団は16宣教区(他教派でいう「教区」)に分かれており、251教会は必ずどこかに所属している。
豊栄教会は「新潟山形宣教区」に所属する12教会のひとつである。
管理人は宣教区長を務めており、今回のいっせい防災訓練の宣教区責任者でもあった。

 しかしこの「いっせい防災訓練」、始める前からすこぶる評判が悪かった
というのも、「11.9の日曜日の正午」という開催時間が宣教区長に通達されてきたのは7月。
教団の社会厚生部から正式な文書が送られてきたのは9月である。
すでに各教会では、早い所では2月時点で年間計画を決めている。
当宣教区の某教会ではバザーが予定されていたし、当教会でも恒例の「北区音楽祭」への出場日でもあった。

 しかも正午と言えば、礼拝が終わるか終わらないかという時間帯である。
「もし祝祷の時間に重なったときには、少しずらしてください」と、当日号令をかける役員に伝えておいたが、幸い礼拝は正午5分前に終了した。
しかし信州宣教区の某教会では、ちょうど正午が頌栄から祝祷へのつなぎ部分にあたり、律儀にもそこで号令をかけたということである。
 教団から送られてきたQ&A集では、「訓練が日曜日の礼拝時間に重なっているのはなぜですか」に次のような回答が掲載されている。
教会全員が同時に体験し、震災が起きたあなたの教会の防災対策に生かせるように訓練にするためです」(原文ママ)。
だが礼拝は、一般の会社や学校の勤務状態とはまるで異なる時間である。
偉い人にはそれが分からんのですよ。(『機動戦士ガンダム』第42話より)

 教会にとっての課題は、たまたま礼拝の時間(日曜日の約一時間)に地震が起こった時の対応ではない。
むしろ震災が起きたあと、通信網が分断された中で、どうやって教会員の安否を確認し、フォローしていくかというところにある。
今回の訓練では、2時間以内にインターネットの掲示板に状況を書き込む。
しかし実際に震災に襲われたら、インターネットどころか携帯電話でさえ繋がらなくなることは想像に難くない。
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posted by 近 at 10:03 | Comment(0) | 牧会卓話

2014.11.9「持つべきものは祈りのみ」

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聖書箇所 使徒の働き12:18-25
 18 さて、朝になると、ペテロはどうなったのかと、兵士たちの間に大騒ぎが起こった。
19 ヘロデは彼を捜したが見つけることができないので、番兵たちを取り調べ、彼らを処刑するように命じ、そして、ユダヤからカイザリヤに下って行って、そこに滞在した。
 20 さて、ヘロデはツロとシドンの人々に対して強い敵意を抱いていた。そこで彼らはみなでそろって彼をたずね、王の侍従ブラストに取り入って和解を求めた。その地方は王の国から食糧を得ていたからである。
21 定められた日に、ヘロデは王服を着けて、王座に着き、彼らに向かって演説を始めた。
22 そこで民衆は、「神の声だ。人間の声ではない」と叫び続けた。
23 するとたちまち、主の使いがヘロデを打った。ヘロデが神に栄光を帰さなかったからである。彼は虫にかまれて息が絶えた。
 24 主のみことばは、ますます盛んになり、広まって行った。
 25 任務を果たしたバルナバとサウロは、マルコと呼ばれるヨハネを連れて、エルサレムから帰って来た。



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「宗教としてのナチズム−その系譜と実像」(4)〜敬和学園大学の卒業論文(1994)

第3節 ドイツ的キリスト者信仰運動

 雑誌『意志と権力』1935年4月15日号の論説「積極的なキリスト教」は、ナチ政府のキリスト教に対する態度について、こう論じている。
 しかし、ナチズムはキリスト教を肯定はするが  教会としてにせよ、信仰としてにせよ、またそれが政治的な領域においてであろうと、宗教的な領域においてであろうと、その現象形態に関係なく  無条件に肯定するわけではない。ただキリスト教が積極的である限り、キリスト教が自己と政治権力に対する限界を、指示されたとおりに守る限りにおいてのみ、ナチズムはキリスト教を肯定するのだ。(40)
 「積極的」という語から受けるような印象は、ここで理想として語られているキリスト教においては、全く後景に退いているように思われる。「自己と政治権力に対する限界」を「指示されたとおりに」遵守する、すなわちナチ政府に従属する《制度》の一種としての地位しか、そこには与えられていない。この論説の書かれる15年前にナチ党綱領を著した者は、「積極的」という形容詞にどのようなニュアンスを含ませようとしていたのであろうか。エバーハルト・イェッケルは、その著『ヒトラーの世界観』の中で、そのような問いは提起するだけ無益であると指摘している。なぜならば、「一般に党綱領は、第一次大戦後の時期の小市民的な不平と憧れを列挙したものにすぎなかったからである(41)」。
 彼によれば、この綱領はヒトラー個人の明確な世界観に裏付けられ、生み出されたものではなかった。そして「積極的なキリスト教精神」という言葉もまた、敗戦によって「王座と祭壇(Thron und Altar)亅に象徴されるような国家権力との結合を喪失したキリスト教会に対し、ナチ党の存在をアッピールするための方便にすぎない。「それ故、ヒトラーの世界観を探求するものは、党綱領から何の説明も期待してはならないであろう(42)」。
 では、ナチの理想とした宗教が「積極的キリスト教」でないとすれば、いわゆる《ドイツ的キリスト者信仰運動(Glaubensbewegung Deutsche Christen;以下GDCと略す)》はどのようにとらえればよいのであろうか。彼らは自らを「積極的なキリスト教精神」に立つナチズム戦士であると公言し、実際従来の研究においてもGDCは「ナチス的キリスト教」としてナチズムと同質的及び友好的な宗教運動として解釈されてきた。しかし前節で述べたように、ナチの宗教的意図がキリスト教を排除し、総統崇拝を中核とする救済宗教を新たに創出することにあったのならば、GDCのごときグループはナチにとって必要ないどころかむしろ障害となったのではないか。無論、ナチが教会票獲得のために彼らを利用したという反論もあるだろう。だが野田氏によれば、ヒトラーはGDCのような「ラディカルな勢力にたいしても既成の教会の擁護者としてたちあらわれた(43)」という。果たして彼はこの運動をキリスト教勢力の中で唯一容認できるセクトとしてみていたのか、それとも多くの研究者が指摘するように政治的利用手段に徹したのか。本節では、このように見解が錯綜している感が強いGDCを新たにとらえ直してみたい。続きを読む
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2014.11.2「祈りのチカラ」

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聖書箇所 使徒の働き12:5-17
 5 こうしてペテロは牢に閉じ込められていた。教会は彼のために、神に熱心に祈り続けていた。
 6 ところでヘロデが彼を引き出そうとしていた日の前夜、ペテロは二本の鎖につながれてふたりの兵士の間で寝ており、戸口には番兵たちが牢を監視していた。
7 すると突然、主の御使いが現れ、光が牢を照らした。御使いはペテロのわき腹をたたいて彼を起こし、「急いで立ち上がりなさい」と言った。すると、鎖が彼の手から落ちた。
8 そして御使いが、「帯を締めて、くつをはきなさい」と言うので、彼はそのとおりにした。すると、「上着を着て、私について来なさい」と言った。
9 そこで、外に出て、御使いについて行った。彼には御使いのしている事が現実の事だとはわからず、幻を見ているのだと思われた。
10 彼らが、第一、第二の衛所を通り、町に通じる鉄の門まで来ると、門がひとりでに開いた。そこで、彼らは外に出て、ある通りを進んで行くと、御使いは、たちまち彼を離れた。
11 そのとき、ペテロは我に返って言った。「今、確かにわかった。主は御使いを遣わして、ヘロデの手から、また、ユダヤ人たちが待ち構えていたすべての災いから、私を救い出してくださったのだ。」
12 こうとわかったので、ペテロは、マルコと呼ばれているヨハネの母マリヤの家へ行った。そこには大ぜいの人が集まって、祈っていた。
13 彼が入口の戸をたたくと、ロダという女中が応対に出て来た。
14 ところが、ペテロの声だとわかると、喜びのあまり門をあけもしないで、奥へ駆け込み、ペテロが門の外に立っていることをみなに知らせた。
15 彼らは、「あなたは気が狂っているのだ」と言ったが、彼女はほんとうだと言い張った。そこで彼らは、「それは彼の御使いだ」と言っていた。
16 しかし、ペテロはたたき続けていた。彼らが門をあけると、そこにペテロがいたので、非常に驚いた。
17 しかし彼は、手ぶりで彼らを静かにさせ、主がどのようにして牢から救い出してくださったかを、彼らに話して聞かせた。それから、「このことをヤコブと兄弟たちに知らせてください」と言って、ほかの所へ出て行った。

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posted by 近 at 17:00 | Comment(0) | 2014年のメッセージ