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2020.1.12「マリヤのように、マルタのように」(ルカ10:38-42)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
昨年の10月27日(誕生日だったからよくおぼえています)に、放送伝道の会議のために二日かけて県内3箇所を回ったのですが、
あまりにも疲れたので天然温泉がある小さなビジネスホテルに泊まり、有料のマッサージ椅子を利用しました。
それが強すぎたのか、長すぎたのか、帰ってきたら背中を痛めてしまい、それから一ヶ月ほど、毎日いたたたた。
ようやく一息ついて、水曜祈祷会で「よくなったよ!」と同じグループの方に証ししたら、その晩椅子に座っていたらパキッと音がしました。
椅子が壊れたのかと思ったら、自分の腰骨だったらしい。今度は慢性腰痛(ぎっくり腰)。背中の痛みを忘れるほどです。
また一ヶ月くらいして良くなったかなと思ったら、また背中が痛くなりました。何でしょう、この永久機関のようなシステムは。
ただ、内臓の疾患による内側の痛みを、脳が骨や筋肉の痛みと解釈してしまうことがあるそうです。
ある男性は二年間腰痛をほっといたら、悪性腫瘍が広がっていたという、こわい症例がネットにありました。
とはいえ今は明日が〆切の牧会方針原稿と、礼拝説教原稿と、午後の老人ホームのメッセージ原稿ができていないことのほうがこわいです。
今年もなんとか乗り切っていきたい。ブログも応援してください。週報はこちらです。

聖書箇所 『ルカの福音書』10章38-42節



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【2020年のメッセージの最新記事】
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2020.1.5「“だれが”よりも大切なこと」(ルカ10:25-37)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
多くの教会では、新しい年度に入ると、その年の標語聖句というのを決めるようです。
私たちの教会でも、1972年の開拓以来、毎年標語聖句があって、私も着任当初からそれを踏襲してきたんですが、
ふと最近思ったのは、「これって意味あるのかな?」ということでした。
教会目標や、牧会方針を掲げるのは必要だと思います。私も毎年A4の紙1〜2枚くらいにまとめて、総会のたびにそれを説明してきました。
でもそれが標語聖句にリンクしているかどうかは・・・・不明です。
人間が考えた目標にみことばを利用しているんじゃないかという恐れもあります。
以前は、正月三が日に少し時間をとって、教会の課題などを黙想しているなかで、これは、というみことばを選んでいました。
しかしどんなに現状にフィットしたみことばが与えられても、それを教会員と共有することができなかったら、画餅にすぎません。
とはいいつつも、やはり今年も標語聖句を探しています。みことばを恐れることは忘れないでいきたいと思います。
週報はこちらです。

聖書箇所 『ルカの福音書』10章25-37節



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posted by 近 at 21:59 | Comment(2) | TrackBack(0) | 2020年のメッセージ

2019.12.29「王は二人もいらない」(マタイ2:1-12)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
正月からちょっと切羽詰まっています。たぶん今年も一年中、こんなだろうね。
先週の主日の夕方、一ヶ月ほど教会に通ってくださっていた方が訪問してくださいました。
また県外に引っ越すことになったということで、少し残念な気もします。
大学はミッション系だったそうですが、卒業後はずっと教会から足が遠のいていたそうです。
同盟(福音派)もあまり良いイメージはなかったそうですが、この教会に来て居心地がよかった、とのこと。
新しく引っ越されるところでも、近所に同盟の教会があるのを見つけたのでそこに通いたい、ということでした。
うれしいですね。もっとも今は、同盟よりも伝統派の先生のほうがよっぽど十字架を語っておられるようですが。
おっと、また口がすべったわ。忘れて理事長。忘れた。よし。週報はこちらです。

聖書箇所 『マタイの福音書』2章1-12節



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posted by 近 at 00:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2019年のメッセージ

2019.12.22「あなたのために神が捨てたもの」(ルカ2:1-12、ピリピ2:6-8)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
あと3日で2019年も終わりです。今年も年賀状は出さずじまいでした。
そしてクリスマスカードも出すのを忘れていました。送ってくださった教会や個人の方に感謝です。
長野県のKさんから、受洗の報告をいただきました。ご無沙汰しております。これからの信仰生活が祝福されますように。
2020年はどんな年になるのでしょうか。
今年辛いことばかりだった方々にとって、振り返って感謝に変わる年になりますようにと祈ります。
週報はこちらです。

聖書箇所 『ルカの福音書』2章1-12節、『ピリピ人への手紙』2章6-8節



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posted by 近 at 20:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2019年のメッセージ

2019.12.15「召し出され、分かち合う」(ルカ1:26-56)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
自宅でひきこもり状態だった長男を殺したとして殺人罪に問われていた元農水次官に、懲役6年の実刑がつきました。
元農水次官の年齢は76歳。私の父と同じ、昭和18年に生まれになるのではないかと思います。
殺された長男の年齢は私より四つ下(妻と同じ年齢)ですが、以前彼が母親に暴力を振るうほど激昂したのが、
エルガイムのフィギュアを勝手に捨てられたことだと、事件当時に報道されていました。
エルガイム、おぼえています。サンライズ系アニメの中ではマニアックな部類に入っていました。

 彼の父親が無実だと言うつもりはありません。せめて執行猶予はつけてあげるべきではないかと思いますが。
しかし「外部に相談しなかった」ということが量刑のポイントだとしたら、この判決は未経験者のひとりよがりでしょう。
経験から言うと、思春期からのひきこもりが25年間も続き、暴力を振るっている状態に対して、
有効に対応できる相談機関はほとんどありません。相談してもどうすることもできないというのが現実です。
警察を何度も呼べません。福祉事務所や地域包括センターも無力です。それは根拠法令が整備されていないからです。
現在の法律は、配偶者の暴力、そして未成年の家庭内暴力に対しては比較的手厚く対応してくれます。
しかしすでに成人になっているのに家庭内暴力を起こしている人に対しては、事件が起きるまではいたちごっこなのです。

 家庭内暴力の特徴は、外部の人間がいる場では普通に過ごしているということです。だから中途半端な援助者が入っても改善しません
同じような悩みを抱えている人が集まる自助グループは、地方都市では困難が伴います。
東京ならいざ知らず、地縁血縁の強い地域では、家庭の恥をさらしては生きていけないのです。
もちろんその受け皿として、私たち宗教関係者も関わるべきだと思っています。
本当に「外部に相談しなかった」のでしょうか。
それとも「相談しようにもどこに相談して良いかわからなかった」のか。
あるいは「相談したけれども、結局は自分たちで何とかするしかなかった」のではなかったのか。
今回の事件を通して、一刻も早く、家庭内暴力を伴う成人の引きこもりに対する法整備が進みますように。
今も苦しんでいる人々がいるのですから。
 裁判員を務めた20代の女性会社員は「正直、すべてが明らかになったとは思わない」としつつ、「家族の問題は小さなことも含めて誰しも経験する」と述べ、今回のケースがひとごとではないと指摘。裁判を終えて「何かあったら家族に頼れる関係を大事にしながら過ごしたい」と語った。
 30代の女性会社員は、被告や妻の話に「同情したり共感したりしたことは少なからずあり、どこまで感情を入れていいか悩んだ」と振り返った。その上で「外部に相談しなかった」という事件の特徴を念頭に「世の中には同じような問題を抱えた家族がたくさんいる。家族内にとどめず、気軽に相談できる社会になってほしいし、なるべきだと思う」と投げかけた。
 別の裁判員は「被害者が亡くなっていて、被害者の意見がなかった」と判断の難しさに言及。「家庭も仕事もすべてうまくいくわけではない。息子に対して、もう少し、高いものを求めないことはできなかったか」と漏らした。

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聖書箇所 『ルカの福音書』1章26-56節



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posted by 近 at 00:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2019年のメッセージ

2019.12.8「その名はヨハネ」(ルカ1:57-80)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
ちょうど一週間前の土曜日のことですが、当教会にて「子どもクリスマス会」を開催いたしました。
その二日前には、ものすごい悪天候でしたが、求道者も駆り出して、二つの小学校の校門前でチラシを配りました。
子どもたちに同情されながら、風に吹き飛ばされないように頑張った。ええ、頑張りましたとも。
600枚くらいは配れたでしょうか。さあ、当日どれくらい来てくれるかな。やり遂げた感を胸に、土曜日を待ちます。
そしたらなんと、ぜ、ゼロ!あんなに喜んで(当社比)受け取ってくれたのに?
もう一度言います。ぜ、ゼロ。あわわ。会社だったら始末書ものです。まあうちは個人商店みたいな規模ですが。
クリスマス会そのものは、教会にもともと来ている子どもたちと大人たちで20人くらいは集まり、楽しく過ごしましたが、ちょっと残念。
こういうのって、一度常連になってくだされば後は口コミで定着していくのでしょうが、まだまだこれからです。
気を取り直して、次はオトナ向けのクリスマス集会です。もちろん子どももOKよ。託児所もあります。地元の人は来てね。

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週報はこちらです。

聖書箇所 『ルカの福音書』1章57-80節


録画に失敗しました。次回をお楽しみに。説教原稿を読みたい方は、「続きを読む」をクリックしてください。

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posted by 近 at 22:36 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2019年のメッセージ

2019.12.1「三つの喜び」(ルカ10:17-24)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
毎年恒例、クリスマス子ども会の案内です。いつものようにラクスルさんで作りましたのでスカシが入っています。
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今のところ、半年に一回しか、地元の小学生向けの集会をしていないのですが、何とか増やしていきたいところ。
また中学生に対するアプローチはまったくできていないので、それも課題です。
牧師夫妻はじめ、教会員の中に地元の小中学生の子どもを持つ親御さんがいないので、いつも手探りです。
いろいろやっているのですが、なかなか地元の人が定着しません。バザーだけは別ですが。
まあ泣き言を言っていても仕方がないので、とりあえず小学校前のチラシ配りをみんなで頑張ります。雪降らないといいな。
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聖書箇所 『ルカの福音書』10章17-24節


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posted by 近 at 21:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2019年のメッセージ

2019.11.24「一番大事なものを神様に」(ヨハネ12:1-8)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
この世では、11月のこの時期は七五三のシーズン。神主さん(クリスチャンから見るとすごいネーミング)と呉服屋さんは大忙し。
盆と正月、そしてこの七五三の時期ばかりは、国民の8割が自分は無宗教であると回答している日本人も、やおら宗教的になります。
(ところが逆に何らかの宗教を持っているという人たちの数を合計すると2億人いるという摩訶不思議)

 私たちの教会では、毎月第四主日の礼拝は、ワーシップ形式で行っておりますが、今回は「子ども祝福式」をプログラムに取り入れました。
千歳飴ならぬ「えいえんのいのちあめ」(ドラえもんの道具みたい)でも贈りたいところですが、そういうのはありません。
ただいつもアダルトチックな礼拝説教を、この日だけは紙芝居を援用しつつ、完全に子ども向けにアレンジ。
「ナルドの香油」の箇所から、「一番大事なものを神様に」というタイトルで、メッセージさせていただきました。

 子どもたちに届いたかはさておき、親ごさんたちには好評だったよう。しかし一部の大人たちと当ブログの常連様には物足りず。
そこで早天礼拝では同じ聖書箇所から、いつものようにアダルト向けの説教を語り、教会員の方々にはその説教原稿を配布しました。
これで物足りなさを補完できたでしょうか。まあ原稿を配布しなくても、このブログを見れば全部載っているのですが。
8年間も続けているのに、教会員のほとんどに知られていないこのブログ。なんとか10年続けたいものです。応援してね。
 週報はこちらです。

聖書箇所 『ヨハネの福音書』12章1-8節



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posted by 近 at 22:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2019年のメッセージ

2019.11.17「キリスト者のアイデンティティー」(エペソ2:10)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。

 今回のメッセージは、新潟聖書学院の専任講師である、朴昌洙(パク・チャンス)先生が語ってくださいました。
先生のご厚意により、説教の録音と公開もOKということです。
週報はこちらです。

聖書箇所 『エペソ人への手紙』2章10節


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2019.11.10「遣わされた者として歩む」(ルカ10:1-16)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。

 また一人、著名な芸能人が薬物使用によって逮捕されました。そのために大河ドラマを撮り直すという方向へ向かっているそうです。ただ、確かに薬物所持も使用も大きな罪ですが、CDの出荷を止めたり、映像ソフトからその人の登場シーンだけを削除したり、あるいは撮影そのものを撮り直したりする必要はあるのだろうか、と思うのです。音楽にしろ、映像にしろ、それは決して一人で作れるものではありません。そしてその販売の利益によって生活の糧を得ている人もいます。芸能人だけでなく、小説家や漫画家、プロのスポーツ選手なども同様です。著作物、試合の結果、そういったものは決してその人だけの才能や努力で生み出されるものではありません。罪は罪として認めなければなりませんが、だからといって、その人が出演した作品などをそこに連座させて、処分する必要はないと思うのです。CDや従来の著作物が損害賠償に充当されたり、あるいは本人の意思により薬物更正施設や慈善団体への寄付などに用いたらよいのではないでしょうか。もちろん、このような考え方に納得することができない方々も多くいることは承知しております。

 では、牧師がもしこのような罪を犯した場合にはどうでしょうか。説教集や著作物がある牧師だったら、出版差し止めになるかもしれません。しかし牧師に関して言えば、それまでに語られた説教は、彼を通して神が語られたものですから、たとえばその牧師から受洗したり、指導を受けていたりしても、すべてを否定する必要はありません。しかしそのような罪を犯した牧師がいる場合、それまでの数年間の説教や牧会の方向性を見れば、少しおかしいということをまわりの人々が気づくことも多いようです。
 もし牧師が本当に、そのような公の罪を犯したならば、即刻、牧師という職を辞するべきでしょう。今も、日本を含めて世界じゅうで、セクハラや刑事告発を受けながらまだ講壇に立っている人々もいます。しかしそれまでに語られた説教は神のことばとして受け入れることはできても、罪が明らかになりその償いを必要としている者を、それ以上神が用いられることはないと考えます。たとえこの地上では、その犯した罪にかかわらず追従者がある程度存在し、彼(彼女)を引き留めたとしても、やがて神の御前に立ったとき、犯した罪の大きさを主イエスご自身から指摘されることになるのでしょう。
 私も献身者として歩み始めてから約20年、一度だけスピード違反で捕まったことがありました。白バイ警官に牧師だと答えたら「ボクシのボクってどう書くの」と調書作成のときに言われました。「葬儀で急いでいたもので」という言い訳は通用しません。しかしそれ以外にも、牧会の中で傷つけてしまった人々をおぼえます。もう謝ることもできない、遠くへ行ってしまった人たちもいますが、まだ間にあう人々に対しても、謝罪できず、逃げていることもあります。ふがいない自分を見つめつつ、やがて神の前に立ったとき、ただすがることのできるのは、さばき主であると同時に私の代理人であり弁護者であるキリストだけだということを改めて思わされます。

 週報はこちらです。

聖書箇所 『ルカの福音書』10章1-16節


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posted by 近 at 21:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2019年のメッセージ